裁判と報道

 

 法治国家であるこの国に、異変が起きてはいないだろうか。

 

あまたある犯罪、そして裁判。

 

今回、新幹線殺傷事件の報道を垣間見て、やりきれない気持ちになった。

 

被告は、無期懲役になることを望み、殺傷事件を起こしている。そして、裁判の結果、「無期懲役」となった。

 

とあるテレビのコメンテイターが、「刑務所はそんな甘いものじゃない。ホテルに泊まるのと勘違いしているのじゃないか。」憤っていたが、そうことではないような気がする。

 

加害者がいれば、必ず被害者が存在する。

 

判決を受けた被告が裁判所で「万歳三唱」。ここまで報道する必要があるのだろうか。

 

被告が望む求刑がなされて万歳されたことに、被害者遺族等の心理を思うと胸が苦しくなる。

 

隠ぺいや隠し事はよくないのはわかっているが、報道として「ただ漫然と情報を垂れ流す」のはいかがなものだろう。そこに、人としての慈悲は存在しているのだろうか。

 

今日も胸中を不快に導く報道は続き、責任の所在がないコメンテイターの言動を見せられるのかと思うと憂鬱にもなる。