時代小説に学ぶ

時代小説や伝奇小説を読んでいると、描写される情景に度々驚かされます。

 

打ち首獄門引き回し、斬首、さらし首など、罪人の首を胴体から切り離してしまう様やその首を町中にさらすなど、現世ではおそろしい表現であることこのうえありません。特に、仇討ちと称される敵討ちのためなら何でもありなのです。

 

また、悪い女性の表現として、悪婦、毒婦、淫婦など、今では形容しがたい表記が目立ちます。昨今の週刊誌の不倫報道などまだまだ序の口に思えます。

 

思えば、戦国時代と呼ばれる時代は、日常の中でこのようなことが現実に起こっていたのでしょう。残忍な行為や淫らな性欲のみならず、人を騙し陥れることの駆け引きに明け暮れていたのかと思うと、今どきの小物政治家の汚職など大騒ぎするほどの事でもないように思えてしまいます。

 

この国は温厚な民族の集合体でおもてなしを大事にし、平和を愛するというイメージに塗り替えられていますが、根本には残虐非道なDNAが潜在していると思うと、かつて戦争に走ってしまったのもうなずけます。残虐非道なDNAについては、この国だけの話ではないかもしれませんが。

 

今は時代が違うと言われるかもしれませんが、三つ子の魂百までのようにDNAは変わらないのではないでしょうか。

取り立てて残虐非道を推奨する気持ちはさらさらありませんが、この国に限らず人の心の奥底に、そういうものが存在することは史実によっても明らかなのです。

 

もちろん、安全安心で平和な暮らしが一番ですが、「震災」「逃亡」「敵対」「感染」「確執」など、現代の不安要素が満載の報道に触れると、微妙な動揺に人々の心が作用して過激なDNAの組み換えが起こり、想像を絶する大惨事に発展しかねない危惧を感じるこの頃です。