イエスマン

何が嫌いって、覚悟のないイエスマンほど嫌いなものはありません。

 

この国の官僚や大臣も大多数がイエスマンの様子。ボスのご機嫌を損ねないよう手もみして、確固たる意見を進言する様子は垣間見れない。ボスの判断が間違っていたらこの国は大丈夫か、なんて考えもしない。あわよくば、失脚して空いた席に座るための算段に念を入れて、手ぐすね引いて待っているのだろう。

 

自治体においても同様で、職員は総じてイエスマンばかり。少しでもはみ出ていると杭を打たれ、職層的にもメンタル的にも潰す策略がひっそりと巡らされてしまうのです。

 

そんな雰囲気に嫌気をさしたころ、北海道知事は自己の責任において「緊急事態宣言」を行ったことは、もっともっと称賛されるべきではないだろうか。賛否があるのはもちろんのこと、彼は「自分の責任において」とはっきり言葉にしている。そこには覚悟が存在している。

 

後から知ったのだが、東京都職員から年収が半額近くになってしまうことを承知で倒産した自治体・夕張市長に手を挙げて当選している。地元の人々から見れば、まったく知らない人が夕張市のためにと言われてもにわかに信じられなかっただろう。

 

国や各自治体の長が様々な形で姿を見せる昨今だが、北海道知事の覚悟に匹敵する人材は皆無と見える。どんなにきれいな言葉を並べても覚悟がなければ一般市民には響かないだろう。

 

政治家が政治屋と揶揄された時があるが、政治屋的な商売根性のやからにこの国の行く末を語ってほしくないのです。もっともっと北海道知事のような人材が増えてほしいと願うばかりです。