「古事記」を題材にした「天(あめ)と地(つち)の方程式」(全3巻)を読み終えました。
天ツ神(善?)と黄泉ツ神(悪?)のしもべたちが神に変わって攻めぎ合うという物語・・・とでもいうのでしょうか。
その中に、神の詞(指令)を「言葉」ではなく「パルス」で受け取るシーンが多々出てきます。
「パルス」というと、脳の電気信号が人間の体を駆け巡り、体を動かしたり言葉を発したりするということを、おぼろげながらに知っていました。
(出典)ウィキペディア によると、以下の説明が出てきます。
矩形波[編集]
電子回路の分野では一定の幅を持った矩形波のことをパルスといい、クロック信号や同期信号に使われる[要出典]。
黒電話など回転ダイヤル式の電話機から電話交換機へ送出する選択信号をダイヤルパルスという[要出典]。
パルスの変化によって信号を変調することをパルス変調という。パルス幅変調、パルス振幅変調、パルス符号変調などの種類がある[要出典]。
シンセサイザーの音色では、矩形波以外に三角波やのこぎり波もパルス波という[要出典]。
以上。
昨今、報道を賑わしているパラリンピック式典統括者の当然の辞任を目の当たりにして、「パルス」を思い起こしました。
もちろん、報道の事実は、脳内の電気信号ではなく、スマートフォンという機器を使ったことなのですが、誰しも頭の中で「〇〇〇〇〇〇」「✖✖✖✖✖✖✖」と、とても人前では言葉に出来ないことを考えたり想像することはあると思います。
いわゆるクローズされたと認知されていた事実が、公の下にさらされる時代なのだと改めて痛感しました。
機器を使った「いじめ」や「誹謗中傷」が乱舞して、その結果、陰惨な結末を迎える事件が多発する世の中の現状も似たような現象ととらえられる気がします。
「言葉」を発する側の意図や心理を、受ける側の人間は、数倍、いや数百倍の重さで受け止めることも少なくないのです。
何気ない「〇〇〇〇〇」という言葉が、受け手にどれほど辛辣で悲しい言葉なのかということは、悪気のない発する側には、相手の人生や環境をまったく知らないがゆえにわからないのです。
近い将来、「言葉」で意思を伝達することが退化して、「パルス」で会話できるようになるやもしれません。それは、ある意味、嘘のない世界を実現できることになります。
もっとも、まともでない考え方が飛び回って現実より悲惨なことになってしまうかもしれません。そうなると、パルスで悪い考えが浮かんだら即逮捕みたいな、人間は思考をしてはいけない世の中になってしまいますが。
世の中が便利になればなるほど、人としての「やさしさ」が求められる世相に変わりゆく途中なのかもしれません。