この頃、少しだけ気になる言葉があります。
「よりそって」「よりそう」など、です。
私自身、日々、仁王立ちして凛々しくいきているわけでもないですが、政治やスポーツに限らず、やたらと「よりそって」などと聞かされると、一種の気持ち悪さを感じます。
「よりそう」という言葉を使って、なんだか懐に手を突っ込まれているような気がしてしまうのです。
そう思うのは、過剰な不自由さもなく、生きていることのありがたみなのでしょう。
「よりそう」と何ができるのでしょうか。「よりそわれた」人の気持ちは暖かくなるのでしょうか。
災害で家が全壊したときて「よりそって」も金は貸しません。救急搬送で「よりそって」も命は守れません。なんて世の中はまっぴらです。
それでも、どうにも心が寂しいとき、「よりそって」欲しいと願うのは、人々の悲しいさがなのかもしれません。