否認と是認

とある芸能人が不祥事に入り活動を休止後、海外で「ゴミ人間」役で復帰するという記事を見た。

 

過ちを犯した人間を、1度でも過ちを犯したら2度とその場に戻ることは否認すべきなのだろうか。はたまた、1度や2度の過ちだからと言って是認すべきなのか。繰り返される事象に触れるたびに回想させられる。

 

芸能活動の世界で不祥事、不倫、犯罪等の発覚後、彼らは、批判、同情、中傷の渦中にさらされ、そして大きな代償を払うことになる。

 

復帰が早いとか、もういいだろうとかあるが、そもそもなぜ故復帰できるのだろう。個人の希望、契約事務所の渇望、ファンの希望などなのだろうか。

 

ちなみに、今日、違法薬物違反に問われている女優の判決がある。報道では「復帰する資格はない」と語っているというが、本心だろうか。2、3年後に復帰して、再び業界から温かく迎えられる姿がちらついてしまう。

卓抜した芸事があれば許されて、秀でたものを持たないものは許されないのが世の中なのだろうか。

 

一方、秀でたものを持たない一般人はどうだろう。

不祥事、不倫ならいざしらず、犯罪とあっては完全にアウトだ。様々な代償を払っても、なお、元の職に復帰することは少ないだろう。仮に復帰できたとしても、過去の過ちを繰り返し語り継がれる苦渋に耐えなくてはならないだろう。

 

芸能人であれ一般人であれ、犯した罪に相応の償いと代償を課せられる。その過程を克服した時、周囲が騒ぎ立てる必要はないのかもしれない。

 

きれいごとで片づけるつもりはないが、「もう許してやれよ」という気持ちもあれば、どこかで「過ちを犯す奴は許せない」という気持ちもある。

 

人間の心理の奥底にある根深い「憎悪」「嫉妬」「懐疑」は、本人の気づかないところで見えたり隠れたりしている。

 

さて、読者の皆さんは「過ちは犯したことはない」と言い切れますか。