災い

東日本大震災から10年がたった。また、新型コロナウイルスパンデミックと認められてから1年を経過した。

 

この世には、何の前触れもなく「災い」が突如として襲ってくる。

 

 

震災があった日、ビルの10階に在籍し日常の仕事をこなしていた。

突然の揺れ、ミシミシときしむコンクリートと窓ガラスの音。今でも忘れない。

揺れは激しさを増し、机の上にセットされたターンテーブルの電話から受話器が飛んだ。受話器を一度戻しても2度3度と宙を舞った。

 

日常の業務が困難になった後、夕方になって、街の中にある防災倉庫へ帰宅困難者用の毛布を取りに行く任務が回ってきた。

人々はパニック化していて、道路は車であふれバイクや自転車が頻繁に車の合間を駆け抜けていった。目的地に向かう軽自動車の中で余震で激しく揺れる車体をトロトロと運転しながら、通常15分くらいの道筋を2時間くらいかけて到着した。

時間の経過とともに、人や車の数は減り帰りは30分程度でたどり着いた。

 

職場は雑然としたまま、誰も行動を起こそうとはしていなかった。

 

徹夜に備えて、ひっそりと夜食を買いにコンビニへ行ったけど、カップ麺やおにぎりはほとんど完売状態。残っていたカップ麺を一通り買って戻ると、職場の人々は、感謝の意を表することもなく、カップ麺を取りお湯を沸かし始めた。

 

「なんだ?」あきれる心中を胸の中に閉じ込めていたら、2回目の毛布搬送を命じられて出発。時計は23時頃だったか?

 

巡回して所定の場所へ毛布を届けて帰還したのは午前2時を過ぎたころのような気がする。

 

椅子のもたれながら、弱めの余震を感じつつ、わずかなまどろみを得た。

 

もう10年たつのかという想いと震災現地の状況を見てはまだ10年しかたっていないのかという気持ちにさせられる。

 

昨今、南海トラフ地震など大地震が起こる可能性が高いというニュースを見るたびに、怒らないでほしいと切実に願う。

 

「災い」を転じて「福」に満たされる日々になってほしい。